自己紹介
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・水・との調和を求め、自然に親しむスポーツを趣味としています。
まだ世間ではスキーをする人口が少ない時
3歳(昭和25年)ぐらいから親父につれていかれはじめた。もちろん単板、ゴム靴、竹のストック
ガン  セツ  スイ  フウ
六甲が近かったせいか、親父によく山につれていってもらった。ロックガーデンで岩登りに興味を持ちただひたすら山に行った。道場にある百条岩はいつか登りたいと夢を見ていた。まだまだ中学生、もちろんザイルは無く荷物をくくるロープで懸垂下降をしたものだ。いま思えば恐ろしい。特に指導者も無く、自己流で登る、すなわちたえずルートを探しながら・・・高校2年の時ついに登った。
その後も山、山、山、主に剣岳が好きでよく行った,何度みてもすばらしいチンネ、八峰の縦走、体力には自身があった。
まさに青春を過ごした山だ。
山が好きだった僕がなぜスキー部に??
高校三年の時見てしまった加山雄三の「アルプスの若大将」ストライブ入りのトレンカーですべる姿はなんともいえなかった。僕もいつかはあのようにを夢見てついにスキー部の部室をたたいた。
雪の無い都会の大学というハンデーを持ちながらのスキー部、とにかく練習はきつかった。入部した時は関西インカレは1部・全日本インカレも2部今、思い出しても辛くて苦しい合宿だった。しかし、そのおかげで、念願の国体に出場できた。
この旗は、国体のマーク。確か小学校の時、神鍋で行われた兵庫県国体で見てから出場選手がものすごくかっこよく見えた。是非僕も国体に出たいという夢を持ち続けた。
確かにスキーはうまくなった、競技だけでなく山岳スキー、長次郎の雪渓、谷川岳一の倉沢.。.また、今ではだれもがやっているエアリアル、当時ではかっこよかった。
本田技研に入社しスキーの練習のつもりでボールをくぐるカヌー競技を始めた。しかしこれまた熱心に練習をしたおかげでNHK杯、また国体に3回も出場した。
風、まさにハンググライダー、まだまだ日本ではなじみが少ないときに始めた,即デルタグライダーを買い、スキー場などで飛んでいた。愛のテーマなどを聞きながら・・・しかしこれは事故が多かった、左上の写真の後、リフトの鉄柱にぶつかり全身打撲で救急車に運ばれた、また箱根の十国峠で飛んで左ひざを捻挫、未だに後遺症がある。しかし、福岡に行ってもやめられず、阿蘇の俵山などで飛んでいた、そして給料の3倍ぐらいのアメリカ製スーパーフェニックスを購入する。しかしこの写真は無い、それというのも購入してすぐ奈多の海岸で飛び海中に転落、スパーを折ってしまった。その段階でハンググライダーは僕には素質がないとあきらめた。ものに出来なかった唯一のスポーツ
昭和57年 第37回 くにびき国体 島根県
昭和58年 第38回 あかぎ国体  群馬県
昭和61年 第41回 かいじ国体  山梨県
僕の好きな歌にこのような歌詞がある、誰が歌ったかも知れないし、うる覚えで間違っているかも知れないが好きな歌である。誰か知っている人がいましたら教えてください。
若者よ体を鍛えておけ、美しい心がたくましい体に支えられる日がいつかはやってくるその日のために、体を鍛えておけ、若者よ。
今はもう若くは無いけれど、しかし何かあるとこの歌を思い出す。
歌って下さい
昭和48年ごろ、岩倉ゲレンデにて
昭和49年、片品スキー場にて
この後救急車で運ばれる
昭和55年ごろ、奈多の海岸にて
決して密漁?ではありません!!・・・・?