渡嘉敷島阿波連ダイビング  

  平成28年 4月30日〜5月1日


沖縄の今の時期は天候の変わり目か、なかなかいい日が続きません。
久々にいい天気が二日続いたの、お気に入りのPOINT 渡嘉敷阿波連へ
ダイビングに行って来ました。


マリーナの夜明けです

   



    もうすぐこどもの日です。  

    



       シーサーがしっかり見守ってくれています。


     



      私はバウでのんびり男は黙ってオリオンビールです。


      




      アンカーリングをしてカヌーで無人島に渡ります。

  
      



        無人島の頂上からDREA夢を望みます。


        




        阿波連ビーチの方向です。

        





 

        



          座間味・阿嘉島を望みます


        




        無人島は珊瑚礁から出来ており、非常に綺麗です。


        




           向こうの頂上に登りました。


         




          少し海中散歩してきます。

              

         



          



                  綺麗なグリーンのいそぎんちゃくです。

          




           今日の晩飯はチーズ焼きとワイン、もちろんオリオンビールも
        楽しい一人酒です。



       



          しずかに夜はふけていきます。


         





       対岸はフェリー乗り場5時30分以降は着眼出来ます。

       5月1日  レンタルバイクを借りて渡嘉敷島一周


       



       山から見た渡嘉敷漁港  岸壁にDREA夢が停まっています。

      


       どこでもピース   

        






         



        


         



          遠くに座間味島を望みます

        



            渡嘉敷島最高峰  赤間山(227m)

         




           有名な集団自決の場所

         


        こんな所を下って行きます。

        




        

     上記の内容(HPより)

     1945年4月2日
     ロサンゼルス・タイムス朝刊から

     侵攻軍、日本民間人の集団自殺を発見 「野蛮なヤンキー」の噂で「拷問」より死を選ぶ日本人達 琉球列島、
     3月29日(遅)(AP)
?

      米国の「野蛮人」の前に引き出されるよりも自殺する方を選んだ日本の民間人(注、渡嘉敷島の人々)が、
     死体あるいは瀕死の状態となって折り重なった見るも恐ろしい光景が今日慶良間列島の渡嘉敷島に
     上陸した米兵達を迎えた。
     最初に現場に到着した哨戒隊に同行した、ニューヨーク市在住の陸軍撮影兵アレキサンダー・ロバーツ
     伍長は「いままでに目にしたものの中で最も悲惨」と現場の様子を表現した。
     「我々は島の北端に向かうきつい坂道を登り、その夜は露営した。闇の中に恐ろしい叫びや
     鳴き声うめき声が聞こえ、それは早朝まで続いた」と彼は語った。
     散乱する死体
     「明るくなってから、悲鳴の正体を調べに行くために二人の偵察兵が出ていった。
     彼らは二人とも撃たれた。
     その少し前、私は6ヶ所8ヶ所で手榴弾が炸裂し炎が上がっているのを見た。
     開けた場所に出ると、そこは死体あるいは瀕死となった日本人(注、渡嘉敷島の人々)で埋めつくされていた。
     足の踏み場も無いほどに密集して人々が倒れていた」
     「ボロボロになった服を引き裂いた布はしで首を絞められている女性や子供が少なくとも40人はいた。
     聞こえてくる唯一の音は怪我をしていながら死にきれない幼い子が発するものだった。人々は全部で
     200人近くはいた。」
     「細いロープを首に巻きつけ、ロープの先を小さな木に結びつけて自分の首を絞めた女性がいた。
     彼女は足を地面につけたまま前に体を倒し窒息死するまで首の回りのロープを強く引っ張ったのだ。
     彼女の全家族と思われる人々が彼女の前の地面に横たわっており、皆、首を絞められ、
     各々汚れた布団が掛けられていた。」
     さらに先には手榴弾で自殺した人々が何十人もおり、地面には不発の手榴弾が転がっていた。
     日本兵(注、島人の防衛召集兵)の死体も6体あり、また他にひどく負傷した
     日本兵(注、島人の防衛召集兵)2人いた。」
     「衛生兵は負傷した兵士らを海岸へ連れて行った。
     後頭部に大きなV字型の深傷を負った小さな男の子が歩き回っているのを見た。
     あの子は生きてはいけない、
     いまにもショック死するだろう、と軍医は言った。本当にひどかった。」
     軍医達は死にかけてる人々にモルヒネを注射して痛みを和らげていた、とロバーツ伍長は語った。
     負傷した日本人(注、渡嘉敷島の人々)を海岸の応急救護所まで移そうとしている米軍の担架運搬兵らを、
     道筋の洞窟に隠れていた一人の日本兵が機関銃で銃撃した。歩兵らがその日本兵を阻止し、
     救助活動は続けられた。
     質問に答えられるまでに回復した日本人達(注、渡嘉敷島の人々)は米国人は女は暴行、
     拷問し男は殺してしまうと
     日本兵が言ったのだと通訳に話した。彼らは、米国人が医療手当をし、食料避難所を与えてくれた事に驚いていた。
     自分の娘を絞め殺したある老人は、他の女性が危害を加えられず親切な扱いを受けているのを見て
     悔恨情にさいなまれていた。

     読んだだけでも恐ろしい光景が目に浮かびます。




        渡嘉志久ビーチ  アオ海亀の生息地です。

        

                    


         山から渡嘉志久ビーチを望みます。


        



        阿波連ビーチより、昨日行った無人島を望みます。

        


         きれいな海岸です


         

                           
           阿波連漁港です

         





         


           阿波連展望台

         


         前に見える灯台が渡嘉敷島の先端ですが、ここから先は行けませんでした。


         




         



         バイクで走った行程

         




          


          順風の風で宜野湾に戻りました。

         



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